※これは当ブログ「りんころのひとりごと。」を立ち上げる前に、
PCのメモソフトで作成していた記事に手を加えた物です。(念のためご報告…←テンプレ
昼ドラは月~金と毎日ある&20分の放送時間なんで、、
1週ごとにちゃちゃっと感想をまとめます!
21話
青森での暮らし、最初はみんな歓迎(?)してた様子だったけど…
やっぱり地域のギャップだからなのか、そう長くは住まわせてはくれなさそうね(汗)
シチュー(=牛乳鍋)も、お口に合わなかったし、
徹子のマイペースぶりにはついていけなさそうだし。
まあ、慣れないのは分かるけど、いつかは上手く行ってくれると良いけどなぁ。
青森での畑仕事も、リンゴの木は減らして芋を育てろという指令がきたみたい。
赤ベコも軍隊の食料になるわけで…こういう所から食料が運ばれてくるんだね。
日本全国的には、いろんな面で思ったようにいかないってわけだ。
それにしても、片腕失くした若い郵便屋さん。
失くしただけで役所のみんなから
「お国のために命を捧げれば良かったのに」って言われちゃうなんて(泣)
生き延びただけで褒めてくれないの?当時ってそういうもんだったの?
22話
赤ベコたちを逃したのはトットだったとは…。
本人は悪気があったわけではないと思うし、良かれと思ってやった事なんだろうけど。
でも、ペットとしてではなく食料として育てられてきたからね…
育ててる人たちにとっては大きなハプニングだし、大変困るし、
今回の事は今後気をつけた方が良いかも。
確かに可哀想で残酷ではあるんだけど、人が生きるための手段の一つなんだよ。
その分、命に感謝しなきゃね!海のもの山のものみたいに。
そんな事もあったけど、トットが誰にでも優しく接するのはトモエ学園での教育のお陰だよ。
小林先生がみんなの良い所を見つけるように、トットも同じように…ね。
郵便屋さんにも、手があってもなくてもみんな一緒だって言ってくれたし。
本当素敵な性格だよ、うんうん。
っていうか、引っ越した近くの小屋がボロボロ!(笑)
ただのボロい小屋でも「アンクル・トムの小屋」だと言ってしまえば、
それだけでイメージが変わって良いかも。
23話
トットちゃんの寂しい気持ちも分かるで…
でも、お母さんが家事をして、遊んでくれたのは、当時はお父さんがいたからなのよ。
今はいないから、仕事も含めて必死に稼いで頑張らなきゃいけないんだ。
全ては戦争のせい…戦争のせいで人が変わってしまったんだと思ったんだね。
今回の時代の流れの描写はスピード感あったね。
広島は原爆で被害に遭い、トモエ学園は黒板だけで再復活(?)し、戦争放棄まで…。
もう戦争終わりまで行ったんだ、早いのう~。
そして、子供時代の徹子から高校時代の徹子へ、役者をバトンタッチ。
ここのシーンは良かったねぇ。
中学時代も見てみたかった気もするけど、これから主役が本格的に活躍だ!
24話
終戦から3年後ですね。
徹子さん、高校生になっても純粋さは変わってないし、津軽弁が思い切り移ってる!(笑)
通学中に定期をなくして、3日間線路を歩いて登下校してたんだって。
線路の上歩くの怖すぎ!!ちょっとヒヤヒヤしたよ(汗)
すごい合成感あったけど、面白かったからいいや~
一方、朝は漁業として東京に売り出しに行って、
佐々木家に頼まれたものを買ってくるという日々を送ってました。
守綱さんはまだ、消息が分かってないみたいです。
いろんな噂はあるけど、収容所から脱走して撃たれたというのは本当なんですかい…?
そういえば、「わいは~」って何ぞやと思って調べてみたら、
津軽弁でびっくりした時に用いられる言葉なのね。
ハワイの業界用語かと思った(違う
25話
徹子、芸者の人にスカウトされるの巻。
でも、お母さんが一人になると思って、断ったみたいです。
今が旬だから半年後のあんたはいらないよって言う芸者さん、、
今でいう若手俳優売り出し中みたいなもんだね。
いつかどこかで会うだろうって…まさしくそうですよ!
守綱の消息を掴むため、東京に引っ越す朝と徹子。
ここから怒涛の戦後の日常が描かれますねぇ。
守綱が無事でいてくれると良いんだけども…どうなるか。
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