腐女子、うっかりゲイに告る。5話 感想|多分、"変態じゃない人"っていないんだと思う。

 

f:id:rincoro_ht:20190425182312j:plain

 

「普通」もそうですけど、「変態」って何を意味するんでしょうね…。

私が思うに、変態じゃない人っていないんですよ。多分。

 

"性欲が収まらない人"を意味するのなら、純(金子大地)のような同性を好む人より

異性を好む人の方が沢山いるわけ。

亮介(小越勇輝)だって、純が飛び降り行為にまで発展させなければ

あんなカミングアウトはしなかった。

以前では、クラスメイトの男性たちが、やらないのかとか指のおまじないだとか

積極的に聞いてくるシーンもあった。

 

もう一つ"変わった人"を意味するならば、紗枝(藤野涼子)も当て嵌るでしょう。

BLが好きな人。ドラマや本の登場人物に対して想像を繰り広げる人。

夢女子になる人。誰もいない場所で独り言を言いまくる人…

つまりは、「自分の事は何も言わない」だけで、

自分では恥ずかしいと感じている趣味嗜好を

周囲に秘密にしている人々ばかりなんだと思うんですよね。

 

愛するがための行為は同じなのに、"異"性と"同"性の一文字違いなだけなのに、

ゲイだからって態度を変える小野(内藤秀一郎)は本当に酷い。

純はマイノリティ側だから気持ち悪い。自分はマジョリティ側だから

みんなの代表者だという正義感を振りかざす。

どの人も小野と同じ思考を持っている訳ではないのですが、

「青春」「思春期あるある」の詰まった高校には、必ず小野みたいな人はいる。

それが純にとっては窮屈だった…。

 

窮屈だったとは言え、普通の幸せが欲しいからと、紗枝を利用してしまったのもまた事実。

些細な言動やほんの小さな意図は相手を傷つける。

これは、ゲイでもレズでも異性愛者でも関係ない、誰もがやってしまいがちな事ですよね。

 

けれども、純の相手が紗枝じゃなかったら、"ありのままの自分"を告白する事もなく、

壁を作って高校生活を送っていたと思います。

学校内でカミングアウトしたのは迂闊でしたが、

受け入れて急いで駆けつけてくれたのが紗枝で良かったです。

 

最後の飛び降りからの救いのシーンは、息の詰まる展開続きでした。

静かに流す涙。数分間と思うくらいの真っ暗闇。目の前に相手の顔が見える事の幸せ。

こう言うのは簡単ですが、脚本、演技、演出、どれを取っても

最上級の仕上がりだったんじゃないでしょうか…

 

 

↓次回の感想はこちら↓

rincoro-ht.hatenablog.com

 

↓前回の感想はこちら↓

rincoro-ht.hatenablog.com