こんにゃく回でもあり、プチ新庄(西畑大吾)回でもありましたね。
話はいつもながら面白いのですが、
私がこんにゃくを好んで食べるのもあって、更に興味深く見られたかも。
今回のテーマは「無くした時に初めて気づく存在感」
こんにゃくや水本(榮倉奈々)の彼氏の件がまず思い浮かぶ…けど、
流れ星を見た時の感動にも当てはまるかもしれません。
ドラマだけに関係なく、日常でも。
地味で素っ気ない物。いつもその場にいる(ある)かのように思えてしまう物。
当たり前の知識として流されてしまう物。
でも、見方を変えればとても素晴らしく思えてくる。
相河「こんにゃくだけを見ているとその偉大さには気づきませんが、
こんにゃくのいないおでんはおでんとは言えませんし、
白滝のいないすき焼きはすき焼きと言えません。」
「存在を無くした時こそその存在感を発揮する、本当に偉大な食べ物です。」
相河(高橋一生)がこんにゃくのルーツを知った時の台詞。
こんにゃくは蒟蒻芋から出来てるけど、その芋は3年もかけて育てなければならなくて。
しかも、「運玉」と言われる程デリケートで、
日光が当たりすぎても、ちょっとの傷でも病気になるし、
シュウ酸カルシウムという強烈なエグミがあるので、
石灰を混ぜないと食べられない芋だった。
なんでそんな面倒な事をしてまで蒟蒻芋を食べようと思ったのだろう…
という、答えを見つけたきっかけが、星空を見て感じた時の言葉。
相河「すごく綺麗なものを、天体が地球に見せてくれました」
何事も謙虚に捉える相河先生が、本当に素敵。
特に存在感が無いように思える物でも、その奥に隠れた見えない物をしっかり見れば、
その素晴らしさを感じる事が出来るんだと。
「それを僕たちに見せるために、こんにゃくは存在してるんです。」と
嬉しそうに話す姿も印象的だった。
決して無駄な物なんてなく、それぞれにしかない「長所」があるんだよ…という
暗喩が含まれた、ホンワカでもあり哲学ちっくでもある作り。今回も面白い。
だから、相河は、何かを見つけたらすぐ飛び出して行くんだなぁ。
大事な物を逃さないようにと。
実家を「ダサい」と思い続けていた新庄の表情の変化
こんにゃくにまつわる話も興味深く見られましたが、
冒頭で「プチ新庄回」でもあると言ったのは、最初の時と終わりの時で、
かなりの変化が見受けられたから。
それが分かる流れが…
①進路相談の話題の時に、実家の話を出したがらない嫌そうな表情
②「(こんにゃくは)本当に偉大な食べ物です」の時の、ハッとした表情
③こんにゃく屋をダサいと思ってる自分がダサいのは分かっているけど、
胸を張って言えない葛藤
④父の仕事が褒められた時の、ちょっと戸惑ってからの照れ臭いような表情
(星空を見ていた時も含め)
⑤翌朝、父の働きぶりを見るようになる心境の変化
…ぁ、ほぼ韻を踏んでるみたいになった(笑)
本人の表情作りが上手いというのもあるんですけど、
ほんの瞬間でも逃さない演出の仕方も、また丁寧。
こういった些細な所が「作品の持つ優しさ」を生み出すんだよなぁ…と改めて。
新庄に「作りません」と言ったワケ
これは多分、相河が新庄だったら、動物の謎を追求する方が好きだから継がない
という意味だと単純に思うんですが、
「作った方が良いのかな?」という質問も関係してくるんじゃないかと。
こんにゃく作りは確かに凄い事だし、継いだら親も喜んでくれるかもしれない。
だからと言って、必ずその進路にしなければいけない訳でもない。
自分の好きな事、やりたい事を見つければ良いという
相河なりのアドバイスなんだと、個人的には考えますね。
「作りたい」じゃなくて「作った方が良い」っていう、
半強制的(?)な表現だったし。
相河が良い残した言葉の謎を視聴者で考えるのも、あえて答えを出さないで締めるのも、
「物語の解釈は自由」な作品らしさ。
それにしても、ピリ辛きゅうりのレシピが出た次の日に、
今度はピリ辛こんにゃくが出てくるなんて…(笑)
材料は一緒かなぁ?きゅうりの方は作る気満々だけど(多分来週)、
こんにゃくも追加で買って、どっちも作ってみようかしら。
CMが蒟蒻畑だったのもナイスですし、
今回に関しては普通に勉強になったので、学校でも教材として流せるんじゃないですか?
楽しみつつ、じっくり考えさせられつつ。
理科にも道徳にもなりそう。
11/7追記:作りました^^ こんにゃくの方は分量適当ですが、
どっちも美味しくできた〜バンザーイ \(^o^)/
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